私自身インディアンに関する映画はつい最近見た「ダンス・ウィズ・ウルブス」
「ネイティブ・ハート」「心の指紋」「スモーク・シグナルズ」「サンダーハート」、
そして全天周映画「ザイオンキャニオン」や昔テレビで見た西部劇ぐらいしか
ない。ただ最近のインディアンに関する映画の傑作と一般的に呼ばれている
「ダンス・ウィズ・ウルブス」、そしてシャイアン族を描いた「ネイティブ・ハート」
を見終わった後、複雑な気持ちにさせられたのは私だけではないかも知れな
い。確かにこの二つの映画の中では、初期の西部劇の中で見られた残虐な
インディアン像という誤った視点から180度方向転換しており、白人自身が多くの
何百万人というインディアンを直接・間接的に虐殺してきた正しい歴史認識が
確認されている。だがこのような流れを見て、インディアンと白人が現在におい
californa大恐慌
て互いを理解し合い、友好関係を結びつつあると結論するのは、余りにも短絡的
すぎることだと思う。実際これらの最近の映画を見てそのように思われた方も多
いに違いない。ただこれらの映画に共通しているのは、インディアンの世界観・
宇宙観というインディアンを語る上で最も欠くことが出来ない根幹部分が欠如し
ており、白人が哀れなインディアンのために命を賭けて立ち上がるという構図か
ら抜け出すことが出来ないところにある。その意味でインディアンの視点に立っ
た「スモーク・シグナルズ」「サンダーハート」「ザイオンキャニオン」は特筆すべ
き作品だと感じられてならない。しかし何故、白人は前述した構図から抜け出す
ことが出来ないのであろう。それは「アメリカ・インディアン悲史」を書いた藤永
茂氏が的確に表現しているので引用したい。
「インディアンについては、アメリカ人は本能的に、ある「おそれ」を持ち続け
ビル·クリントンは1992年に誰を満たしていなかった
け今日に至っている。それは、自分達の幸福論と本質的に対峙する幸福論
によって生き、しかも自分達よりもあるいは幸せであったかもしれない人間
達を、まず力によってみじめま状態に追込み、そして殺してしまったらしいと
いう不安であった。」・・・・「アメリカ・インディアン悲史」より
恐らく白人はその罪の重さに耐え切れないでいる。そして過去を自分の記憶か
ら無理に葬り去るか、或いは傍観者という立場でこの底が見えない崖を飛び
越え、いかにも自分はインディアンの生きかたを認めているという態度をとる
のか、そして最後に自分自身がこの崖を降りてゆき、その降りた次元から改
めてインディアンの視点を理解しようとする誠実な態度をとるのか。私はこれ
らの映画が取っている態度は、二つ目の傍観者のものであるような気がして
ならない。だからこそインディアンの世界観・宇宙観を、その映画という作品
発熱の木#
に投影することが出来ず、主人公である白人の勇気や優しさを称えたものに
終始してゆくのだろう。スーザン小山さんの力作「アメリカ・インディアン死闘
の歴史」に書かれてあるが、「ダンス・ウィズ・ウルブス」の監督・主演を務め
たケヴィン・コスナーはダコタ族に同情的な映画を造りはしたが、その後、
ダコタ族の聖地と呼ばれるブラックヒルという場所の一部を連邦政府から買
い取り、賭博場を経営しているという。傍観者が持つところの偽善が最もあ
からさまに現れた例と言えるだろう。そしてこれこそが現在のインディアンと
白人の関係を見事に言い表していると縮図と言っても過言ではない。これは
映画に限らずインディアンに関する文献にも暗い影を落とし、名誉と富のた
めに捏造したインディアンの魂を真実なものとして売り飛ばしている現実が
ある。この現代においてもインディアンは形を変えた新たな侵略にさらされ
ているのである。
(K.K)
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