2012年4月26日木曜日

Report 1


report 1

英語V(月曜三限)レポート 1班

Herzog & de Meuron
担当 西川正二先生

Contents

・Herzog & de Meuronの建築に対する考え
・批評家によるHerzog & de Meuronの建築に対する考え
・Herzog & de Meuron実際の建築の姿
・Schwitter
・SBB signal tower 4, Auf dem Wolf, Basel
・Depot Ricola
・The SUVA Building
・Tate Gallery 現代美術館
・3人の日本人PritzkerPrize受賞者
・丹下健三
・槇文彦
・安藤忠雄

・編集後記


ここで、iについての情報を見つけることができます

・Herzog & de Meuronの建築に対する考え
"We think, and of course we hope that our work at least tries to appeal to life(生活), and to the liveliness(活力), it appeals to the five senses.(五感)" "At limit, we believe that architecture should merge more with life, to merge the artificial and natural, the mechanical and biological"「私たちは、自分達の建築が少なくとも生活や活力や五感といったものに訴えるものであってほしい。建築はより生活と溶け込むべきだし、人工的なものと自然なもの、機械的なものと生物学的なものを合わせていくべきだと強く信じている。」Herzog & de Meuron のHerzogは、雑誌での会談で自分達の建築についてこう語っている。
生活、活力、五感。建築はこうした人間の根本や本能的な部分へのアプローチを試みるものであり、それこそが建築の素晴らしさであるというのが彼自身を、そして彼のパートナーであるMeuronの考えをよく示している。建造物は文章として読まれるわけでもなく、副題や札によって説明されるものでもない。建物と訪問者との関係は第三者的、理性的な存在が介入するのではなく二者による直接で本能的なものなのだ。
 では建造物と人間(訪問者・利用者)が向き合う時、異質な双方の間をとりもつのは何か。この媒介とは、まさに建築素材、物質なのである。彼らは実際に行った講義の中で、"The artwork is the highest ontological state of material once it is taken out of its natural context. All other ontological states of material describe a gradual ending in the total rape in which mankind participates through his production of the utilitarian objects of daily life and the typical architecture of today."と述べている。自然環境から取り出された素材は芸術作品として用いられることを最大としながら、芸術から遠ざかるほどその存在論的価値を失っていく。実用一点張りの日用品やありきたりな現代建築の作成が、その価値の損失に参加しているものだとして嫌っている。だが、日常生活で使われるもろもろの物に対しての不快感や懐疑にみちた驚きは根拠が無いわけではないという。美学的凝集や集成体が自分たちの頭のなかに分解されないように、現代文化が擁する廃品置場や廃品倉庫においても分解されないのだと。これは人々に認められた産業時代の中で、実用的価値を使い切ることができると信じられていた日用品も、一度スクラップにされると廃品置場や倉庫で堕落した状態に硬化し、自然に循環されることがないこと� ��批判的にも述べている。
Herzogたちは自分達が扱う「物質」という存在に対して、何を意味し、どうすればその独特な質を活かすことができるかを熟考しているのだ。前項で述べたように、建造物と人間の関係が直接的、本能的であるからこそ、伝達を大きく左右する媒介を彼らは安易には扱わない。物質の世界にも精神的価値があるという考察も行っており、そしてこの素材を活かす考慮が、彼らの建築スタイルに大きく貢献しているのは間違いない。無数に存在する素材の独自性を活かすことで多種多様な建築を可能にしているのだ。
Herzogは稼動を停止した火力発電所を博物館へと変える、「テート・モダン美術館」のプロジェクトに関する話題の中で、"It is exciting for us to deal with existing structures because the attendant constrains demand a very different kind of creative energy."(私たちにとって、現存する建築物を扱うのはワクワクするものなのだ。なぜなら、付随する制約はあらゆる種類の創造力を要するからである。) と言っている。そしていつも走り書き・下書きから建築が始められる、つまり制約ゼロから建築を開始することができるわけではなく、こうした制約下で自らの創造力を働かせることが今後ヨーロッパの都市でますます重要になるとも述べている。では、彼らは実際にどのように建築表現を行っているか見てみると、以下のように言っている。
一般的に建築家はできるだけ写実的に描かれたperspective drawing(透視図:一点を視点とし、物体を遠近法によって我々の眼に映るのと同様の状態に描く画法。)を要求されるが、透視図が写実的であればあるほど、その意図は欺瞞的になる。透視図は、建築を表現するイメージとして本質的に欠落せざるを得ないものである。透視図によって建築の実在全体を再現しつくすことは不可能だからである。さらには透視図法で表現されたイメージは一旦固定されると、逆に作った本人にとっての足かせともなり得る。作られたイメージはそこから現れる建築の実在を脅かすような制限となる上、透視図からは作者の意図した見方や彼が望んだ展開しか得ることができないので、建築表現の写実的方法は、authoritarian(権威主義的)かつanti enlightening(非啓発的)である。そしてこの方法によって表現される建築にも同じ傾向が反映されがちである。
建築表現の正確さは、建築物の外見の表面的な写実性を高めることによって得られるものではない。表現の正確さは、むしろその建築表現以外のイメージを思い起こさせ、可視的なものと不可視的なものの両方を喚起する表現方法によってのみ達成されるのだ、としている。This is a presentation which develops from the structure of architecture itself and changes from project just as the architecture itself changes from site to site.(このような表現こそ、「建築それ自体の持つ構造」から編み出された表現なのであり、建築物そのものが敷地ごとに様々な形をとり得るように、計画ごとに様々にありうる表現なのである。)彼らは経験や文体を優先した建築への動機付け、透視図法などを嫌い、なぜならそれらは、ものごとを取り入れていくというよりは、固定観念によって新たな可能性を排出してしまう傾向もあるからだと考えている。
 こうした作品をはじめ、様々な建造物を扱ってきた彼らはプロジェクトが始まるたびにチームを再編成しており、それは最高の結果を達成するために多くの多種多様な才能が必要なのだと理由付けている。ここには彼の建築が常に独特で独創性にあふれていることも伺える。規格された建築を作り出すのではないからこそ 、その時その時でプロジェクトに必要なものは違い、各種のそれを持つ者たちも再編成をするのだ。彼らは建築の陳腐な表現をぶち壊したいとすら言っている。これは同時に自分達が陳腐なものではなく常に独創的でありたいという願い、向上心の表れなのだろう。
彼らの陳腐な表現を打破する方法に目を向けると、陳腐で見慣れた世界を分割し、細分化するというものだ。そうすることで新たな関連性が見出され、目に見える世界において目に見えない世界に形を与えているという。ここでいう目に見えない世界というのは、自然、このはかり知れぬ完全性の内側で諸関係をつかさどっている「システム」の複雑性のことである。そして芸術や社会という領域で行われている、この複雑性にたいする類推に彼らは興味を持っているOur interest is thus the hidden geometry of nature, a spiritual principal and not primarily the outer appearance of nature.(このように彼らが興味を持っているのは、隠れた自然の幾何学、つまりある精神的原理についてなのであって、一瞥される自然の外観についてではない。)あるプロジェクトにおいては、"That is the feedback of the most possible and complex forms of the project in the clearest and most comprehensible principles interested us.

ノースカロライナ州を引退する場所
"(そのようなプロジェクトでは、様々にあり得る最も複雑な形式から、最も明快かつ包括的な原理によってフィードバックされた規則が、我々を魅了したのである。) とも話している。透視図法の事例で目に見えるものだけにとらわれることを嫌っていることからも、この見えないものの表現に対する彼らのこだわりが伺える。
加えて、陳腐な表現をぶち壊したいために他のアーティストと協力し、その合作を楽しんでいる側面もある。他アーティストとの協力が、建築を彼ら二人の枠にとどまることなく多様な提供を可能とし、また常に新しいものを求める彼らだからこそ他アーティストの合作が可能である。
 そんな彼らがもっとも知り合いになりたかったのはAndy Warholだそうだ。彼は新しいものを表現するために共通の一般的なイメージを用いており、そのため表現方式や材料に活気が帯びることになる。一般的で終わらないことが二人が彼に興味をもった理由である。そして、この一般性と新しさの融合は、Herzog & de Meuronの建築が目指す伝統性と革新性の共存建築と類するところがある。実際に日本を訪れた時に新旧や縮尺、規模がまとまりなく分散している姿に魅了されている。あくまでそこで人々は生活し、まとまりない分散が実生活の中に見られることが、建築は生活の中へ溶け込むべきだと考える彼らを魅了したのではないだろうか。
 彼らは生活に溶け込んだ建築への方法に対して2点述べている。1つ目は、今日の生活、芸術の意味、音楽、そして他の現代的メディアの活動は何かということ。二つ目はどのような技法を発見もしくは発明し生活のための建築にもたらすか、である。生活に溶け込んだものにするために、まず対象となる生活を知り、そして知った対象に適切な手段をみつけるのだ。
では、生活に溶け込むというのはど ういうことか。彼らにとって建築は現実を認識し、対峙するための道具であるというのは関心を引く。"As a matter of fact, the architectural plan and the architectural work interest us as tools for the perception of reality and confrontation with it."実生活というのは現実の代表であり、その逆は宗教である。ともすれば建築が人間の現実認識の道具になることが生活に溶け込むといえるのではないだろうか。
しかし、常に最高のものを作り上げるために彼らは自分が崇高しているとしても既存の建築物のパラダイムは行わない。建築物の中には素晴らしいものもあればひどいものもある。それを注意し、学び取らなければならないと考えているのだ。パラダイムは、概念の枠の形を変えこそすれ、同一の枠内であることには変わりない。日本の姿に感動した時に、故郷スイスの景色に似ているからだろうと言った彼らであっても、自分の仕事はいかなるスイスの伝統にも基づかないと言えるそのスタイルは、やはり常に考えの枠を新たに作り出すものなのだろう。彼らのイメー� �する建築の世界というのは、"I have to heat up, melt and take apart both, and then cool them down again in my own sweat bath."であり、再構成という概念に基づくものなのだ。学び取ったものを、新たなものへと変化させる力が彼らにはあるのだろう。
素材について熟考し、陳腐な表現を嫌う独創的な二人が、人間が直接に現実を認識するための建築を行う。これがHerzog & de Meuronであり、その作品は伝統性と革新性にあふれているのだ。


参考資料:…about Jacques Herzog and Pierre de Meuron(西川正二氏 提供資料)
    :The Beauty of Materials(Erwin Viray著)

担当:東 琢哉、松浦 由紀、三輪 仁美(五十音順)


彼らが判断するかどうか

・批評家によるHerzog & de Meuronの建築に対する考えを批評する
  Herzog & de Meuronの作品を批判的に見る人々がいる。彼らの作品を単なる凝った外見でデカルト主義的・保守的だと評価するのだ。Herzogは彼らの評価は古い観点からのものであり、「四角形はつまらない、固体性は古い流行だ。」とする保守的なカテゴリーで考えている人々であると述べている。双方が互いに相手のことを保守的だと捉えているのは興味深い事実である。どちらにしろ「保守的」なのは好ましくないらしい。
二人の作品を支持する者も多い。1996年に同じくPritzker賞を受賞したラファエル・モネオ氏は論文の中で以下のように述べた。
「二人の作品には、建築家の独創的な見地を取り戻すための努力が見られる。建築家としての積極的な本質にたどり着くために、建築・芸術の原点を追究することで作品に特徴が生まれ、独創性を より強調することで他の建築家の作品との差ができる。彼らの作品が学者や批評家たちを魅了するわけは、彼らの作品が、人々の感情を一新させることのできる建築の頂点にあるということだ。材料を今までとは違った方法で用いて新鮮さを生む、ということへの決意が現在も彼らの作品の中に見られる。」
モネオ氏はHerzog & de Meuronのことを完全に他の建築家とは別格扱いで評価しているようだ。たしかに彼らの作品は外見から驚かされる。しかし大建築家はやはり芸術家に近いのであろうか、言葉があまりに抽象的で分かりにくい。ここでは深く触れないが、ルイス・バラガンの、「静寂さを表現しない建築は、どれも間違いである」なんていう言葉はその最たるものである。多くの建築家がモネオ氏のように、抽象的だが、とにかく褒めていることだけはわかる。
また、日本人もHerzog & de Meuronの作品を以下のように評価している。
これは、建築設計よりも建築家についていろいろ言うほうが得意、という日本人建築家ユニット、ぽむ企画・平塚桂・たかぎみ江氏による批評である。先に両氏は、最近のファッションブランド建築において建築家たちが、建物の表面に素材で変化をつけて、いかに美しくカッコイイ模様に仕上げるかを競い合うさまを築地市場の魚に見立てて、「うろこけんちく」と勝手に名づけた。いくつかの青山のブランド建築の中で、表参道に現れたHerzog & de Meuron設計のプラダ青山店を「うろこ建築の最終兵器」と形容した。「ひし形のゆがんだ特殊ガラスによるうろこが建築を覆うという代物で強烈な印象を与えている」と両氏は感じた。Herzog & de Meuronは表面の仕上げを得意技とする世界一のうろこ建築家で、その素材へのこだわりと仕上げのオリジナリティは、まさしく仕入れから仕込み、そして調理まで気を抜かない腕の立つ料理人のようだと絶賛した。構造から素材からオリジナルのうろこを使う彼らの作品にHerzog & de Meuronのこだわりが表れていると言う。
 彼女らは、ぽむ企画としてお笑いけんちくサイトを運営しているだけあって、とてもユーモアにあふれる表現でHerzog & de Meuronの作品を評価したが、やはり他の評論と同様に、その独特の建築素材の使い方が気になったようだ。「プラダというブランドイメージよりも建築のイメージのほうが強力かもしれない」という言葉はまさしくその通りで、もしかしたらプラダじゃなくてもよかったのでは、とか思ってしまう。
 一級建築士の来馬輝順氏はTN Probeで開催されていた「Herzog & de Meuron展」を見て以下のように評価した。「近代における建築家のレベルでは、装飾をテクスチャー以上に表層的にしか使いきれていないように思う。装飾は境界と秩序ということに深く関わり、人は境界を定めることで秩序をつかみ行動を始める。そしてまずその最初の境界を定めることは、極めて創造的なことである。このような難解で曖昧な境界という軸を、Herzog & de Meuronは建築でも見せてくれた。かれらはこの境界という問題にかなり意識的に取り組んでいると感じる。そして彼らはこの境界に取り組むことで大きな収穫を得ているのである。」
来馬輝順氏もやはりその建築作品の表層に心を奪われたようだ。かれはこの展覧会に偶然立ち寄るまではHerzog & de Meuronのことを知らなかったようで、彼らの日本での認知度の低さが感じられる。もっとも建築関係の学生の間ではすでに大きく話題を呼んでいたようだが。来馬氏は紺屋の白袴とでもいったところか。もっとミーハーにがんばってもらいたい。上述のプラダの話題性もあり、Herzog & de Meuronもこれからは日本でも人気建築家として有名になっていくであろう。カーサで特集されたのだから、なおさらである。
 次にHerzog & de MeuronがPritzker賞を受賞した際の審査員の評価であるが、
"The architecture of Jacques Herzog and Pierre de Meuron combines the artistry of an age-old profession with the fresh approach of a new century's technical capabilities. Both architects' roots in European tradition are combined with current technology in extraordinarily inventive architectural solutions to their clients' needs."
「Herzog & de Meuronの建築様式は、新しい世紀の技術的な能力の新鮮なアプローチと幾つもの時代を経た職業の芸術性を組み合わせている。ヨーロッパの伝統の中での彼らの根源は、非常に創造性のある現在の建築の技術と依頼者の要望とを結びつける。」
 そして審査員の個人的なコメントも寄せられている。
 J. Carter Brown議長より、
"One is hard put to think of any architects in history that have addressed the integument of architecture with greater imagination and virtuosity."
「より大きな創造および妙技を備えた建築の外皮を表現した、歴史上の建築家についての考察が重要な点である。」
 Bill Lacy取締役より、
"In each of the buildings by Herzog and de Meuron, there is clear evidence of two very talented architects collaborating in an unusual design dialogue. The result is an impressively original joint body of work."
「Herzog & de Meuronの作品のどれもに、普通とは違う設計準備を共同に研究する、二人の非常に才能のある建築家としての明確な証拠が見られる。その研究の結果は、印象深い独創的な作品群を生み出した。」
 Ada Louise Huxtable審査員より、
"The work of Herzog and de Meuron is at once new and timeless, subtle and radical, understated and experimental. They refine the traditions of modernism to elemental simplicity, while transforming materials and surfaces through the exploration of new treatments and techniques. This is an art of reduction and enrichment that moves architecture to new levels of experience and effect."
「二人の作品は、ただ新しく、永遠で、微妙で、根本的であり、控えめな主張をし、また実験的である。新しい扱い方および技術の探求を通じて、ものと表面を変形しながら、彼らは現代風の伝統を根源的な単純さへと洗練する。これは建築を経験と努力の新しいレベルに進める縮小や豊富化の芸術である。」
 Carlos Jimenez審査員より、
"One of the most compelling aspects of work by Herzog and de Meuron is its capacity to astonish. They are able to transform what might otherwise be an ordinary shape, condition or material, into something truly extraordinary. Their relentless pursuit and investigation into the nature of architecture results in works charged by memory and invention, reminding us of the familiarity of the new."「Herzog & de Meuronの作品の中で最も人の心を動かすのは、その驚くべき能力である。それらはひょっとしたら通常の形、条件あるいはものであるかもしれないものを、本当に異常なものへと変化させることができるのです。その新しい親しさを私たちに思い出させることによって、それらの無慈悲な追求、そして建築の性質の探求は記憶と発明によって課された作品に帰着します。」
 Jorge Silvetti審査員より、
"Herzog and de Meuron's work has infused architecture with an aesthetic energy that engages the beholder through both sensorial and intellectual pleasure. They have done this in a continuously evolving and inspired search that has lasted almost two decades and which has never succumbed to the comforts of success."
「Herzog & de Meuronの作品には、感覚と知的な楽しみの両方で見物人を引き止める美的な力が、建築物の中にあふれている。その特徴は20年間続いて成功の気楽さの負けることなく、連続的に発展した。」

やはり難しい。まあ、具体的にどこがどう良いと評価するほうが難しいのかもしれない。型にはめられるのはHerzog & de Meuron自身も最も嫌う部分であろう。以上のようにHerzog & de Meuronの作品は良くも悪くも評価されている。批評家たちの意見に関して共通して言えることは、二人の作品の特徴は昔ながらの建築様式に新しい方法を取り入れ、全く違ったものへと変化させるところにある、ということだ。またその建築の特徴に、建築物の表面を無駄に装飾するのではなく、構造や素材にこだわりを持つということもあげられている。そう、Herzog & de Meuronが言うように、建築には表題や札なんてついてない。批評家が私たちにとっての建築の札代わりなのである。

参考URL




参考文献
 about Jacques Herzog and Pierre de Meuron (西川正二氏 提供資料)

担当:久保田 善之、桜井 佑介、豊島 一弘(五十音順)


・Herzog & de Meuron実際の建築の姿
・Schwitter
設計1985
建設1987-1988
左の写真は外壁に曲線を描いた"Shwitter"
右の写真は庭に向かってある内側の同じような曲線。 バーゼルにある"Schwitter"はAllschwieler通り90番地にある。 1階フロアーにはお店が並び、地下には駐車場がある。そしてその上に住居がある。店と住居が一体となっているのがSchwitterである。
前部の曲線は円形のバルコニーによって覆われている。 この住居のポイントは、内側に涼み廊下が、西側には砂利つきの庭がレイアウトされ、かつ住居を改造してちょっと休憩できるバーのような所が住居とは独立してある。住、と建築がコラボレイトした作品といえるだろう。住居には住民がすごしやすいようにお店があったり、あずま屋があったりと様々な工夫が凝らされながらも、外面を曲線で覆うような遊び心を持ち合わせている。

SBB signal tower 4, Auf dem Wolf, Basel

設計1988-1989
施工1992-1995


 これは、スイスフェデラル鉄道のシグナルタワー4であり、新しいロコモティヴ駅と古いウォールズ・ウォルフ・ゴッドフィールドの間に建っている。そのタワーの中にはロコモティヴ駅のポイントや信号を管理するための電気装置があり、さらに、そのタワーは4つのワークステーションと関連の補助的な部屋の管理もしている。
内部構造設計図

採光のため、窓との空間に張り巡らされている銅版のテープ
 この6階建てのタワーは断熱用のコンクリートの骨組と採光のための約20cm幅の銅板のテープでできている。その銅板は、ダイナミックな建築の表層を表現し、かつ、一方では静電気のシールドの役割もはたしている。
  近づくと空が見え、銅版も開いている。

 通常の工業建築で使用する人工照明だけではわからないことが、このシグナルボックスでは壁面に銅版を使用することにより自然照明を取り入れているためにわかる。例えば、日照時間の違いによって季節の移り変わりを感じることもできるだろうし、採光量の違いによって昼夜の変化を感じ取ることもできるだろう。その銅版は窓辺のブラインド的な役割を果たし、内外の媒介的役割を担っている。また、銅を使うことにより昼夜で建物の外観が変わる。昼は赤茶けて柔らかく、夜は黒く頑丈に見える。彼らは、このシグナルタワーを単なる管制塔にしたくなかったのである。実用的側面と芸術的側面をあわせもち、自然環境とも調和する。そんな建築にしたかったのではないだろうか。


・Depot Ricola(リコラ社倉庫)

 1993年にフランスのミュールハウス・ブルーンシュタットに建てられたリコラ・ヨーロッパSA貯蔵庫。この倉庫には、工場建築の材料として一般的な半透明のポリカーボネ−ト製のパネルでできた特有の外壁があり、そのポリカーボネ−トの壁によって建物の中に光が差し込む。それはまるで室内のカーテンのような役割をはたしている。さらには、周囲の木々との結びつきを生み出している。

シルクスクリーンの工程を使用する際に、これらのパネルにはカール・ブロッスフェルトの写真に基づく植物のモチーフが繰り返し描かれている。そして、そのモチーフは採光量が少なくなるにつれ見えにくくなり、ポリカーボネ−トよりも頑丈な物質の様相を呈するようになる。(↓の写真参照)


使用しやすくするために、採光性を考えた構造になっている。
 まず、Ricolaについていえることは、この建築の中で人口と自然とがうまく調和していることである。例えば、周辺の木々と壁面の植物のモチーフの密接なつながり、ポリカーボネ−トの建物内外の媒介的役割である。一方、ポリカーボネ−トという素材を使うことにより、建物の表情が昼夜によって異なるのも一つの特徴である。昼間は日光によってリーフモチーフが見えるため、自然にも人にも優しく、見る者に安らぎを与える。しかし、夜になるとモチーフは見えなくなり、建物は見る者に頑丈で、どっしりとしていて
近寄りがたいという印象を与える。彼らは素材の特性を活かすことによって、建築に二つの表情をもたらし、実用性と芸術性を共存させる� ��とに成功した。

・The SUVA Building

右はHerzog & de Meuronによって改築されたSUVAの建物で、下はその改築前の姿です。
バーゼルの聖ヤコブ通りにあるSUVAの建物の拡張の際、1950年に立てられた現存の部分を生かしつつ、その区画をさらに発展させるという方法がとられました。
実際に、オフィスや住居のある新しく建築された部分をガラスで覆うという解決策が、現存する部分にもまた役立つこととなりました。


この建物のガラスの外壁は異なる三種類のテープでできていて、それぞれが独特の視覚的、聴覚的特徴を持っています。まず、オフィスなどに設えられたガラス板は開け閉めが可能で、建物の温度調節ができ、また防音効果もあります。

ガラスで覆うという手段を用いることによって、この建物の既存部分と新築部分がむすびつきました。それだけでなく、採光性といった使い勝手と、芸術作品としての完成度の両方を実現させることを可能にした。また既存部分に使われていたレリーフなども、別の新しい部分で、この建物の一部となっている。ここに、彼らの、馴染みのあるものを利用して全く新しいものを創り出すという姿勢を見ることができる。

 


外観


 


窓にはSUVAの文字が書かれている。


1階には、パスタ屋などのお店があるようでかなりオシャレなつくりになっている。
機能と、芸術を取り入れたHerzog and de Meuronらしい作品といえるだろう。

Tate Gallery 現代美術館


Tate modern美術館は、セント・ポール大聖堂につながるロンドンの中心部にあり、その建築は古と新を組み合わせた驚くべき作品である。しかしこの建築の元はGiles Gilbert Scott卿が作ったBankside発電所だった。420万以上のレンガから構成されて、中は鉄構造である。中央の煙突は、セント・ポール大聖堂のドームよりも低く設定しなければならなかったために、約99メートル(325フィート)に制限されてしまった。

この発電所をTate modern美術館へと移行させるために設計しなおしたのが、Herzog and de Meuronである。それはGiles Gilbert Scott卿の元のデザインの清廉さを大事にしながらも建物の改修点を際立たせるものを計画した。


タービン・ホール


1995年すべての発電所機械をタービン・ホールから除去し始めた。それは使われなくなった産業建造物から、世界クラスの美術館を作り出そうという建築計画であった。建物の外見で最も注目すべき変更は、1998年の5月のlightbeamとして知られる新しい2階のガラス屋根の構造であろう、自然の光を最上階へといざなうだけでなく、ロンドンを見渡せる素晴らしい眺めを持つオシャレなカフェにも光を照らしています。
この作品で、まず1番面白いのは国家的プロジェクトにもかかわらず、新築ではなく、敷地に残る1948年から使われてきた元火力発電所の建物を改造し、それを現代美術館として転用するという構想であろう。パリのオルセー美術館なども元駅舎を美術館として再生したものであるが、オルセー駅がそ� �自体残すべき価値のある歴史的デザインの質を有するのに対し、この火力発電所は必ずしも歴史的文化財といえるほどの価値はなかった。ただ、川岸に立ち上がるアールデコの様式の煙突の風景は、ロンドン市民の戦後の都市を考える上で欠かすことのできないものではあったようだ。このような建築を扱う上で別でも記述したが、Herzogはこの建築を扱ううえでかなりの好奇心を駆り立てられたようである。彼らの作品には新築はもちろんだが、改造や転用といった作品も多い。「付随された制約はあらゆる創造力を要するからワクワクする。」というHerzogの言葉に代表される建築である。この現代美術館の最大のポイントは、高さ40mあまりの広大で柱のないタービンホールをどのように扱うかであった。既存部分にはできるだけ手を つけずにないでおこうとする案と、逆に自分らのコンセプトに基づいて既存部分に手を加えていこうとする案。正反対な発想が提案されたが、Herzog and de Meuronは、前者の既存部分を残す形をとった。「建物に切り込みをいれたり、付加的な要素を加えたりといった、装飾的な解決によるものでなく、伝統とモダニズムのハイブリッドな状態を目指す。」といった彼らの考えが反映された形となった。そうしてできたTate modern Gallery について日本のPritzker賞受賞者の安藤忠雄は、「旧く重々しいレンガの構造体に対し、現代的なガラスの素材が適当なヴォリュームで配され、バランスのよい対比関係を形作っていて、新旧の組み合わせが作り出すこの十字形によって、新しい都市の顔となるのに相応しいシンボリズムが実現されている。内部については、既存のタービン・ホールのスケール感を生かし、長軸方向に通された高さ一杯の吹き抜け空間を中心に、全体を構成されている。トップライトからの光の下、代表彫刻が、巨大空間の特性を上手く引き立てているのが印象的です。引き込まれた都市空間として計画されたこのホールからは、現代美術館の構成が一目で把握できるようになっている。非常に明快な図式で建築が組み立てられている。反面そのわかりやす� �、割り切れ方ゆえか、美術館としてはやや落ち着きにかけるように感じられるきらいもありますが。」と述べている。しかし、この彼らの代表作である作品が、彼らの伝統性と革新性の共存、芸術と使いやすさの共存といった信念を代弁する作品となったことは間違いないだろう。

建築参考資料


担当:大谷 絵美、熊谷 光治、桜井 裕子、杉本 礼、(五十音順)


・3人の日本人PritzkerPrize受賞者
丹下健三
「桂離宮、伊勢神宮など日本の伝統建築は学ぶものが多く勉強になるが、私は常に日本より世界に目を向けて仕事をしてきた」
 丹下健三は、日本の伝統建築を昇華し、ル・コルビュジエらの西洋近代建築に傾倒しながら独自のスタイルを確立した、日本を代表する世界的な建築家である。
 1913年、大阪生まれ。東京大学建築学科を卒業後、ル・コルビュジエに学んだ前川国男の建築事務所勤務を経て東大の大学院へ戻り、母校で教鞭を執っていた1949年に『広島市平和記念公園及び記念館』のコンペで一等に選ばれた。そして公園内に実現した『広島平和記念館』(1952)など一連の建築設計で称賛を浴びた。どれも打放しコンクリートを用いた端正なプロポーションで新たな時� �のデザインを予感させるとともに、戦後復興のシンボルとして、後に続く若い建築家の脳裏に深く刻み込まれた。
 東大の助教授、教授を勤めるかたわら、設計活動は旺盛に続けられた。黒い鉄材に覆われた『東京都庁舎』(1957)、日本の伝統建築の木割を意識したコンクリート打放しの小梁の表現が美しい『香川県庁舎』(1958)など優れた作品を発表した。そして彼の名を国際的にしたのが東京オリンピックのための『代々木国立屋内総合競技場』(1964)だ。その当時としては画期的な吊り屋根のダイナミックな構造で、内部に開放的な空間を作り出した。上空から見る貝のような有機的デザインのインパクトは今も色あせない。
 「機能ばかりの建築ではおもしろくない。かといって意味のないかたちを張り合わせたような� �のでもいけない。そこが難しいところ」
 さらに1970年の大阪万博のマスター・プランを担当。中心施設として幅108メートル、長さ291メートルの大屋根を架けたハイテク空間、お祭り広場を創造し話題となった。
 丹下の仕事は都市計画でも卓越していた。たとえば東京の改造計画を提案した「東京計画?1960」は、人口1000万人を超え、郊外にアメーバ状にスプロールした都市に対し、成長可能な地域構造を求めたものだった。都市という概念を否定し、線状に発展していく都市軸という概念を導入した。都心機能は都市軸上に分散、展開し、発展可能な開かれた構造へと改革していくことを目指したのである。これは提案にとどまったが、海外では都市再建に積極的に取り組んだ。1964年から66年に計画したユーゴスラビアのスコピエ� ��市中心部の再建、1967年から69年に計画したサンフランシスコのイエルバ・ブエナ・センター、1971年から76年に計画したシチリアのリブリノ、そして何よりもイタリア、ボローニャのフィエラ地区センター(1975-82)など数多い。
 近代建築のパイオニア、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトらに比べ、一世代後に属する丹下は、イオ・ミン・ペイと並んで近代建築を本格的に世界に拡大していく役割を担っていった。そして日本の戦後復興と経済成長の中心的存在として活躍してきたのである。
 丹下の設計事務所は自身の設計した東京、赤坂の『草月会館』(1977)の11階にある。「東京が開発されていくさまがわかりおもしろい。同時に建築家の責任の重大さを感じる」。窓からは自身の設計した『新・東京都庁舎』( 1990)のゴシック風の超高層ビルも見える。完成当時はマスコミをにぎわしたが、今は東京の顔として定着した。
 「都庁の場合は象徴的な作品にしたかった。建築が議論されることはいいこと。それだけ関心がもたれているということだから」
 東大時代には大谷幸夫、槙文彦、磯崎新、黒川紀章ら日本を代表する建築家を育てるとともに、近代建築の先端を常に歩んできた。1987年には建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を日本人で初めて受賞した。(下は国立代々木体育館)



槇 文彦
Herzog & de Meuronは自らの建築が少なくとも生活や活力や五感といったものに訴えるものであってほしいと考えている。そして建築はより生活と溶け込むべきであり、人工的なものと自然なもの、機械的なものと生物学的なものを合わせていくべきであると強く信じている。また建築は生活、活力、五感といった人間の根本や本能的な部分へのアプローチを試みるものであり、それこそが建築の素晴らしさであるというのが彼らの建築に対する考えである。
彼らは建築物と人間が向き合うときに、その異質な双方の間を取り持つ媒介を建築素材、物質と考え、その扱いや存在について熟考している。そしてこの素材を活かす考慮が、彼らの建築のスタイルに大きく貢献していて、無数に存在する素材の独自性を活かすことで多種多様な建築を可能に� �ているのである。
さて、彼らが最高のものを創りあげるために既存の建築物のパラダイムは行わずに建築物の中にあるものから何かを学び取るべきであると考え、その学び取ったことを新たなものへと変化させていかなければならないと考えている。一方、槇 文彦はものを創るためにはある種の精神状態、ステート・オブ・マインドを保つ必要があると考えている。これは自分で納得できる最低レベルを設け、そこは常にクリアできる精神の状態を保つことだそうである。また、そのためには自分が自分の作品の対する最も厳密な批評家として、謙虚さと自信を持ち続ける必要があると考えている。また、槇氏は建築とは数多くの空間群で構成されていて、そこでは時間に耐えうる質が確保されていなければならず、そのためにはス� ��ール、プロポーション、テクスチャー、光、眺望などすべてが関わり合っていくと考えている。そして、それについて色々問い続けたり複数の人間で行うディスカッションの質を高めていくことがクリエーションの質を高め、決定するというのが彼の意見である。また補足的だが、Herzog & de Meuronが建築プロジェクトごとにチームを再編成して取り組むのに対し、槇事務所では所員に仕事を掛け持ちさせずにプロジェクトの大小を問わず所員みんなで十分に時間をかけて取り組んでいる。共に世界的に認められている建築家だが、その考え方はそれぞれまったく異なっていてすばらしい個性やセンスを持っていると思う。そしてそのすばらしい個性やセンスを持っていたからこそ世界に認められたのであろう。下は、幕張メッセ北ホールの写真。

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安藤忠雄
 1941年、大阪に生まれて独学で建築を学ぶ。65年に、世界の建築を自分の目と足で確かめようと、ヨーロッパ、アフリカ、インド他へ半年にわたる旅へ。初めて西洋建築に触れ衝撃を受ける。67年、西海岸からマンハッタンへのアメリカ横断の旅をする。69年、建築設計事務所を設立。85年アルヴァ・アアルト賞、89年フランス建築アカデミー賞ゴールドメダル、93年日本芸術院賞、95年プリツカー賞、96年高松宮殿下記念世界文化賞、97年英国王立建築家協会ゴールドメダル、2002年アメリカ建築家協会ゴールドメダル受賞など、数々の賞を総なめにする。1987年のエール大学をはじめとして、コロンビア大学、ハーヴァード大学の客員教授に就任。2002年ローマ大学名誉学位を授与される。1997年より東京大学大� �院教授を務める。
 安藤忠雄の代表作品は「住吉の長屋」(79年日本建築学会賞)、「六甲の集合住宅T・U」(83年日本文化賞)、「光の教会」など多数ある。大阪出身ということもあり、関西方面に多くの作品を残している。安藤忠雄自身もこのことについてこのように語っている。「この場所(大阪)で生まれ、多感な20代を過ごしたということも含め、やはり私の原点なのだと思います。〜中略〜事務所開設後の私に、作る勇気を与えてくれたのも関西の人々でした。多くの勇気ある人々が、私の無謀な試みに力を尽くし、ともに夢を見てくれた。関西という風土が私という人間を育んでくれたのです。」すなわち、安藤忠雄という建築家は大阪に育てられたのだ。もちろん彼は今も大阪で建築家として生きて、関西にとどまり続� �ている。95年、プリツカー賞を受賞したとき、彼は受賞の喜びを日本語で表現した。また、2002年ローマ大学の名誉学位を授与された際の記念講演においても、彼は日本語を話した。彼は世界各地の講演をすべて日本語で話すという。
 彼は、その著書にも『連戦連敗』とあるように、あるプロジェクトに対し設計者を決めるコンペにおいて、幾度となく落とされてきた。国際コンペにおいては97年に勝ち抜いた、テキサスのフォートワース現代美術館が最初である。現在最新のプロジェクトは、2006年竣工予定、セーヌ川に浮かぶスガン島の再開発計画、フランソワ・ピノー財団現代美術館である。何度コンペで落とされても、今日まで30年間建築の道を歩み続けてきたのは、やはり建築が好きだから、建築という仕事が面白くて仕方な� �ったからだと安藤は語る。
 彼の建築の特徴としてもっともよく挙げられるのは「コンクリート打ち放し」である。安藤忠雄のコンクリート打ち放しは、通常のものよりも美しい。職人に細かく指示を出し、安藤自身がその出来を見極める。出来上がった建築作品は一見しただけで安藤建築と理解できるほどに美しいコンクリート壁を持つ。そのルーツは安藤忠雄が1962年に日本一周旅行をした際に目にした、丹下健三設計の香川県庁舎と広島ピースセンターであるようだ。しかしこの建築は意匠として伝統的な日本の形に近いもので、丹下健三は伝統を考えるとき、精神ではなく伝統的な形をいかにモダナイズして現代に受け継ぎ、また未来につないでいくかという態度をとっていたようだが、安藤忠雄はむしろ伝統的な形の継承とい う具体的なものではなく、根底に流れている精神のようなものを受け継ぎ、次の時代へつなげていきたいと思っていた。建築家にとって伝統とどのように向き合っていくかという問題は、設計と同様に非常に重要であるようだ。やはり建築は、建物そのものだけで独立に存在するのではなく、時に周囲の環境、ランドスケープまで変化させる。その土地の歴史や文化とも深く関わってくる必要がある。その全体像を見極めたうえで設計計画を立てるのだ。そういった意味で、このことはHerzog&de Meuronの、現代社会や現代メディアに呼応した建築。また新たな手法・技法を用いて既存の表現形式や材料に再び新しい息吹をあたえるという姿勢にもつながっているように思われる。
 建築家それぞれの視点は違えども、あらゆる建築プロジェクトの中に、このように一見しただけでは分からない建築家の信念というものが隠されているということに、安藤忠雄の言葉により気づかされた。彼は大学に行かず独学で建築を学んでここまで来た。しかし彼日本が世界に誇る建築家であることは間違いない。

光の教会(大阪府茨木市1989年)

参考文献   『安藤忠雄 建築を語る』 東京大学出版会
       『月刊 カーサ ブルータス』2002年9月号 マガジンハウス

参考URL  
       


編集後記

まず、グループ全体で担当を割り振って、授業で配られたプリントの自分の担当分の内容を把握し、授業中にその担当部分をプレゼン形式で発表した。担当部分でわからないことや英語読解の難しいところをピックアップし全員に内容を説明する。その後調べるテーマ別にグループを3つに分けた。「Herzog & de Meuronの建築に対する考え」と「丹下健三」を1班。「批評家によるHerzog & de Meuronの建築に対する考え」と「安藤忠雄」を2班。「Herzog & de Meuron実際の建築の姿」と「槇文彦」を3班が担当した。


1班:授業のプリントを東がまとめ、「素材の美学」を松浦と三輪がまとめた。また、丹下健三についての資料をそれぞれ集めた。3人はそれぞれまとめたレポートを英語の入ったものにし、最後に東が3人のレポートを一つにまとめた。
2班:全く知らない題材についてほんのわずかなきっかけ(単位に直結しているからわずかとはいえないが)でろくに話したこともない人たちと協力し、意見をまとめるのは至難の業だと思っていたが、意外に進められるものであることに気づき驚いている。二班は桜井を中心に進み、Herzog & de Meuronに対する批評家の意見・コメントについてまとめることになった。審査委員のコメントはすぐに見つかるのだが、二人に対する日本人の意見はほとんど見られず、豊嶋が持ってきてくれて助かった。特に際立った役割を果たさなかった私は非常に助かった。Herzog & de Meuronもこのように相互に意見を出し合いながらすばらしい芸術を生み出しているのだろう。(久保田)
3班:参考資料は3つほどのホームページと本を決め、それを担当し、さらに細かい内容を調べるさいは個々で資料を探して内容を深めた。そして全員で意見を出し合い担当部分の内容をより細かいものにしていった。3班の担当はHerzogの考えが建築にどのようにあらわれているか、またどのような建築があるのかである。建築はすぐに見つかったが建築の専門用語も多く、訳と内容把握にはかなり手を焼いた。しかし、写真の載っているサイトだったので英語と照らし合わせながらなんとかこなせたように思う。
(熊谷)

英語V月曜三限1班
(1班)東 琢哉、松浦 由紀、三輪 仁美
(2班)久保田 善之、桜井 佑介、豊島 一弘
(3班)大谷 絵美、熊谷 光治、桜井 裕子、杉本 礼



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